「どうして鎌倉に?」とよく聞かれる。答えるたびに、少し長い話になってしまう。理由はシンプルで、東京に近くて、自然が豊かで、子どもたちにとって環境が良い場所を探していたら、鎌倉にたどり着いた。ただそれだけのことなのだけれど…。
インドネシアでの12年
夫の仕事の都合で、インドネシアへ渡ったのは30代のことだった。まさか12年も暮らすことになるとは、当時の私には想像もできなかった。
熱帯の空気、色とりどりの市場、喧騒の中にある人々の温かさ。慣れない日々も多かったけれど、この土地は私たち家族にたくさんのものを与えてくれた。現地のお手伝いさんは、いつしか家族同然の存在になっていた。
帰国して1年後、懐かしくなって娘たちと三人でインドネシアを再訪した。空港に降り立った瞬間、あのなんとも言えない南国の香りと、じわりと汗ばむ感覚が全身を包んだ。「ああ、帰ってきた」と思った。おかしな話だけれど、それが正直な気持ちだった。お手伝いさんとの再会は、抱き合って懐かしんだ。やっぱり、もう家族だと思った。
秋田へ——子どもたちに見せたかった景色
日本へ戻るタイミングで、私が選んだのは故郷の秋田だった。インドネシアの学校しか知らない娘たちに、日本の暮らしを、私が育った場所で経験させたかった。
最初は戸惑っていた。言葉も、学校のルールも、友達との距離のとり方も、インドネシアとはまるで違う。それでも娘たちは少しずつ馴染んでいき、気づけば笑顔で学校へ通うようになった。母としてひそかに感動したのは、給食のありがたさ。インドネシアでは車での送迎が当たり前だったのに、ここでは自分の足で歩いて通う。その小さな「自立」が、なんだか嬉しかった。
冬には雪遊び、スケート。秋田でしかできない体験を、娘たちはめいっぱい楽しんだ。同じ敷地に妹夫婦も住んでいて、毎日のように行き来した。妹夫婦の犬と一緒に朝の散歩をする時間は、穏やかで、やさしかった。祖父母と食卓を囲む日々。あの2年8ヶ月は、娘たちだけでなく、私にとってもかけがえのない時間だったと、今になって思う。
夫はそのあいだ、海外へ単身赴任。とはいえ今の時代はLINE電話がある。毎晩、画面越しに顔を見ながら話した。年に3回ほど秋田へも戻ってきてくれて、その度に東北をめいっぱい楽しんだ。温泉、フルーツ狩り、アウトドア。夫が来るたびに、小さな家族旅行になった。
鎌倉へ——バリに似た空気の中で
夫が日本へ戻るタイミングで、私たちは新しい住まいを探し始めた。都会の便利さよりも、自然の豊かさを。子どもたちにとって環境が良い場所を。そして、いずれは義理の母も一緒に暮らせる場所を。
いくつかの候補地を巡るうちに、鎌倉はするりと心に入ってきた。気候こそ違えど、海と山が近くにある感じが、バリに似ていると思った。東京よりも緑が深く、子どもたちが育つ環境としても申し分ない。「ここなら、長く暮らせる」と感じた。
今の家は、海は見えるけれど海沿いではなく、山の方にある。朝、窓を開けるとほととぎすが鳴いている。リスが木をつたっていく姿も、もう日常の風景になった。キッチンからは富士山が見え、日が沈むころのシルエットは、言葉にならないほど美しい。春には庭の桜が咲き、ピンク一面に花びらが舞った。こんな景色が、毎年ここで見られるのかと思ったら、胸がいっぱいになった。
50歳の春。インドネシア、秋田、そして鎌倉へ。遠回りのようで、これがちょうどいい道のりだったのだと、今は思っている。


コメント